13/08/2026
8月20日(木)15:10〜 FMりべーる83.7MHz (SAYAカフェタイムの中で)
“大谷泰一四刀流!医農孔話!”「第5話 ビニールハウスとタネ」
旭川ビニール特価品「農薬」
FM りべーるの山下局長から頂いた「医農孔話」というお言葉は、造語ですが、「医」は医療・医学、「農」は農業・農学で、「孔」はゴルフのことで(中国ではゴルフのことを孔球とも言うそうです)、私の “4 本の刀”のうち 3 本が含まれています。今回は「農」=農業・農学のお話です。
弊社は農業資材卸売業者で、昭和30年頃、初代社長の大谷二朗が北海道に初めてビニールハウスを持ち込みました。ただ、当時の本州から持ち込んだビニールハウスは、マイナス20度を下回る超低温の条件では薄いガラスのようにパリパリ割れてしまったそうで、“北海道特別仕様”にする必要がありました。
弊社は今年で創業69年:創業1957年(昭和32年)/設立1964年(昭和39年)故父大谷二朗が初代社長で、母登美子が2代目社長。2013年から私が代表を務めています。創業69年、設立は62年になりますが、北海道経済社様も60周年と聞いております。私は旭川東高の26期(昭和51年、1976年卒)で北海道経済社の今の代表の西田さんも東高卒で35期だそうで、なんとなくもう一つの旭川の情報誌よりは親近感を抱いてしまいます。
北海道にビニールハウスを持ち込んだのは、弊社社長の大谷二朗で昭和30年頃ですが、日本にビニールハウスを持ち込んだのは、戦後GHQのマッカーサーでした(第3回 旭ビ勉強会で、ネポン株式会社/厚木営業本部 部長 番三千郎様からスライドを見せていただきました)。
当時、日本では人の糞尿を畑に撒き肥やしとして野菜等を育てており(今では、循環型経済circular economyとして高く評価されているのですが、、、、)当時は、そんな人の排出物で採れた野菜を部下に食わせられるか!とビニールハウスを持ち込んでそこで自分達のために野菜を作ったそうです。
ビニールが被覆資材として持ち込まれるまでは、日本では油紙等を用いてたようですが、色々工夫して、野菜を本来取れないときに採る技術を“施設園芸horticulture”と呼ぶのですが、最初に施設園芸を始めたのは、第5代古代ローマ帝国のネロ、だと言われています。
ネロ(西暦37年~68年)というとキリスト教徒の迫害や母や奥さんの殺害など大変な暴君だったわけですが、占い師から「きゅうりを食べないと死ぬ」と言われて「1年中きゅうりを作れ!」となったようです。そして、温めたり、冷やしたりしながら一年中キュウリを作ったのがその始まりとされています。
私は、2006年9月にイタリア・ナポリ近郊の古代ローマ都市ポンヘイ市を訪れる機会がありました。ポンヘイ市は、西暦79年のヴェスヴィオ火山大噴火による火砕流で一瞬にして地中に埋もれた都市でしたが、火山灰のおかげで当時の街並み、鮮やかな壁画、生活用具などが奇跡的な保存状態で残されています。
その一角にL字、床と垂直に立った背面の土に斜めに立てかけられた薄い大理石、大理石を通った光が中を明るくしていました。これがビニールハウスの原型だったということに、その時は気づきませんでした。
その後、施設園芸はアジアに渡り農作物の施設園芸として発達し広がって行きましたが、ヨーロッパに渡った施設園芸は社交のための温室(冬でも男女が会える)として発達して行きました。
ところで、施設園芸/ビニールハウスは大切ですが、その中で育つ野菜の種はもっと違った次元で、根本的に大切なものです。
2008年2月26日、ビル・ゲイツは地球上の種子を冷凍保存する世界最大の施設をノルウェー領スヴァールバル諸島に作りました。このスヴァールバル世界種子貯蔵庫(Svalbard Global Seed Vault)は、現代版「ノアの箱舟」とも称され、あらゆる危機に耐えうるように設計された終末の日に備える北極の種子貯蔵庫ですが、地表には入口があるだけで、まるでSFの宇宙基地のようです。
永久凍土層に築いた地下貯蔵庫は人工的に温度をマイナス18~20°Cに保っていますが、万が一、冷却装置が故障した場合にも北極なので、マイナス4℃を維持できる環境です。また、地球温暖化が進んで海水面の上昇が起こった場合に備えて、貯蔵庫は海抜約130mの地点に設けられています。
運用2年を経た2010年に保存種子は50万種に達し、1品種当たり平均500粒を保存し、発芽率を維持するため、20年毎に種子は入れ替えるそうです。
娘が神奈川県三浦市の宮坂様のところに嫁ぎ、私にとって種(タネ)がぐっと身近なものになりました。それは家業の「ミヤサカのタネ」は、明治25年に長野県茅野市で創業、今は三浦に本店を移し134年続くタネ屋さんだからです。
「F1」のお話をしたいと思いますが、F1種とは異なる固定種を親として交配させた一代目の雑種です。簡単に言うと、(雌しべが本来の雄しべと交わらないように)雄しべを取り除いたり、雄しべのできない突然変異の株を利用したりして、雌しべを“目的の性格の植物”の雄しべと受精させてできる種です。
初めて市場に登場したのはトウモロコシのF1で、20世紀初頭のアメリカでした。トウモロコシは、雌しべと雄しべが別の花になっている単性花なので、トウモロコシのてっぺんに咲く雄花を全部鎌で取り除き、そして(その性質が欲しい)別の雄花を持ってきて雌花と受粉させました。
しかし、この“除雄”によるF1種は、雌しべと雄しべが別々の花にある単性花では簡単でしたが、両性花の“除雄”は技術的に非常に難しく、世界で初めて成功させたのは、1924年(大正13年)埼玉県農事試験場のF1ナスでした。
その後は1925年にアメリカで発見された“雄性不稔”(正常な花粉が作れない=雄しべが働かない性質)を利用したF1種が主流となっていきます。F1は病気に強く、両親の良いところを受け継ぐことができました(「雑種強勢」)。
F1種の特徴として、生育が旺盛で育てやすい:病害に強く、成長スピードも一定なので、形や大きさが揃います。 親よりも大きく育つことが多く収量が安定し、スーパー向けの大量生産に適しています。
一方、食味は落ちるとされ、イチゴの有名品種は殆どF1ではありませんが、それ以外の野菜はトマトやナス、ピーマン等の“成り物野菜”を始め殆どがF1種と言っていいと思います。
F1種に対する言葉は固定種ですが、これらは代々種を採取しても同じ性質が受け継がれる品種で、地域の風土に適応した在来種も含まれます。京都の九条ねぎ、群馬の下仁田ネギ、石川の加賀れんこん、沖縄のゴーヤー等などです。
神奈川県三浦の固定種であった「三浦大根」(根の下部が太く土から抜くのが大変)は、1979年(昭和54年)台風20号により壊滅的な被害を受けてしまい、青首ダイコンが入って来ました。娘の旦那さん和彦さんのお父さんの吉彦さんは、三浦大根の伝統を守るべく、F1品種を作ったそうで、今も“三浦大根”を食することができます。私も大根の煮付けをいただきましたが、味が染みた「黒崎三浦」はしっかりした歯応えで、青空首大根とは全く違いました。
日本の二大種苗メーカーは「タキイ種苗」と「サカタのタネ」と言っていいと思いますが、両者の性質・性格は全く異なると思います。
「タキイ種苗」は1835年(天保6年)京都府京都市で創業の、トマト品種「桃太郎」で知られ、年始の商談会で一年分の受注がもらえるそうです。
一方、「サカタのタネ」は、1913年(大正2年)神奈川県横浜市で創業。1934年 全米審査会でペチュニア「F1ビクトリアス ミックス」で賞をもらいアイデアのサカタと言ってよく、私が2018年オランダに行った際、見学した世界最大の花市場アールスメール(1年間に125億本の花がオークションで売られる)でも受賞していました。
そのアイデアはビジネスにも生き、現在ブロッコリーは、サカタのタネが世界シェア65%を占めますが、それは、天使のメッシと呼ばれた若い頃のメッシにブロッコリーを食べてもらい、宣伝したからだそうです。
最後に、私が代表をしております株式会社旭川ビニールからの特価品を御紹介したく思っています。今回はビニールハウスや畑で使う農薬/殺虫剤・殺菌剤を特別価格でご紹介したく思います(表)。
次回は、医農孔話の「医」で、「認知症」のお話したいと思います。
注:FMりべーる83.7MHzは旭川とその近郊でしか聴けませんが、サイマルラジオ https://www.jcbasimul.com/ ならインターネットに繋がっているところなら世界中どこでも聴けます。また、聞き逃した方は、YouTubeアカウント:
@四刀流-g3dで録音が聴けます。