24/05/2026
〇「ひろさちや」先生感動する御経CD 華厳経から
華厳経は、釈迦の悟りをそのまま普賢菩薩に説いたもの。
喩えも、予備知識も無いため、優れた菩薩しか分からない。
6種類あり、一番の元は恒本(こう本・ごう本)は永久の経典。
大本・上本・中本・下本・略本となる。
ナガルジュナ(竜樹)が竜宮城でみたとされる「大不思議解脱経」が華厳経。
これは、未完成のお経であり仏様が説き続けられているとするもの。
宇宙の真理は永遠の時間をかけて話していて、文字化されていないものだから、本来はみることはできない。
恒本は宇宙のありとあらゆるもの(自然や現象)そのものが法華経を説いているという無限のスケールを持つ教えで大本とも云う。
大本は、四大海の水を墨にして須弥山を筆にして宇宙一杯に書かれた経典のこと。
上本は三千世界を10集めて木っ端みじんにしたくらいの膨大な経典であり、もっとも古い段階で約十万頌(じゅ)からなるとされるもの。
中本は49万9千8百の頌(じゅ)からなる経典。
下本は十万頌、品目490あり、竜樹はこれを竜宮城から持ち帰ったとされる。
略本は現在、漢訳として伝わっている『六十華厳』や『八十華厳』に相当するもの。
正しい名称は、「大方広仏華厳経」であり、仏様の飾りという意味である。
宇宙一杯に広がった宇宙仏の説法を記したもの。
バイローチャナとは、輝き渡るものであり、太陽のイメージだった。
法身仏とはダルマつまり宇宙の真理そのものが仏である。
応身仏とは、人間に応じて人間に姿を変えて教える釈迦のような存在。
一即多 と 多即一はまったく同じことであると法華経は説く。
一微塵の中に無限大の宇宙があり、無限大の宇宙は一微塵と同じであると説く。
仏教における「縁起説」は相互依存関係であるが、華厳経の教えは「性起説」である。
本来の仏性は現象となって出て来た時、環境によって様々に現れる。
現われたそれぞれが、それぞれパーフェクトであると説く。
貧乏人は貧乏人のままパーフェクト、金持ちは金持ちとしてパーフェクト。
すべては、あるがままでパーフェクト。
独りはそのまま宇宙と同じでパーフェクトであり、全宇宙に匹敵する存在である。
松尾芭蕉の句「華 色々、おのおの華の 手柄かな」にもよく心境が表れている。
仏道を歩もうとした時、すでに仏である。
「仏を目指して歩む」のが仏教であり、仏は無限のかなたにあるものであって、何億年、何十億年もかかる遠い存在が仏であると思われている。
生きている間に仏になることは出来ないのが仏教の通説である。
しかし法華経はそうではなく、仏になろうとした瞬間にもう仏になっていると説く。
永遠の中に一瞬があるから。
今、一瞬仏に向かって歩もう思った時もう仏になっているとするのが華厳経の教え。
世の中は、競争観念にとらわれ過ぎている。
私たちは、あなたがあなたであっていいことだと、「心、仏、衆生、無差別」と説く。
つまり、仏と衆生は差別なく、まったく同じであるということ。
悟りの方に向かうのが仏であり、迷いに向かうのが衆生だということ。
心が仏を作り、心が衆生を作るのであって、まったく同じもの。
仏に向かって歩むことを「ウパーヤ」つまり方便と訳される言葉であり、ウパーヤであれば、どれだけ堕落しようが、落ちてしまっても仏道である。
善財童子の旅:現代語訳法華経「入法界品」をやっと購入しましたので、読後また何か面白そうなことがありましたら、Facebookに記載しておきますね。
ひろさちや先生のCDを速記しましたので、聴き間違いや記載ミスがあるかも知れません。
もしあったら、ごめんなさい。
ご自分でも、ひろさちや先生のCDはまだ発売中で購入出来ますので、是非一度お聴きください。都築