株式会社価創研

株式会社価創研 問題に集中する会議と機会に集中する会議、双方のプロデュース

26/05/2026

歴史に学ぶ経営146 『防衛的賃上げ!?』

 昭和59年4月、就職して最初にもらった初任給は額面で13万円だった。手取りにするといくらだったのかは正確には覚えていない。家賃と水道光熱費が7万円強、新聞・書籍代で約1万円、食事は全て外食だったので、暮らしていけるわけがない。学生時代に稼いだバイト代で賄った。3年9カ月で退職したが、売れる家財道具等を全て売り払って、ちょうどプラスマイナスゼロで帰郷したことを思い出した。

 あれから40年!? 初任給は平均で22.5~26.5万円に上がり、企業によっては30万、40万なんて金額も。隔世の感がある。昨日(2026年5月26日)の日本経済新聞第一面のトップ記事が「賃上げ、5%台維持」というもの。同記事内で専門家は、「人材流出を防ぐため、収益的な余裕がない中での『防衛的賃上げ』の要素が強い」とコメントしている。

 「防衛的賃上げ」があるなら、「攻撃的賃上げ」もあるのか? 「攻撃的」なのかは分からないが、面白い事例がある。以前「カンブリア宮殿」で紹介された「木村石鹸工業」という会社だ。くせ毛や寝ぐせに悩む人達の口コミで広まった「12/JU-NI(じゅうに)」というシャンプーや「SOMALI(そまり)」という洗剤が大ヒット商品だという。全く聞いたことがない会社名・商品名であったが、その開発秘話には興味をそそるものが多々ある。

 同社では、ボディソープやシャンプーから台所・風呂・洗濯機用洗剤に至るまで次々と新しい商品が生まれているが、それは会社の指示ではなく、現場の社員が自主的に行っている。その背景にあるのが「自己申告型給与制度」だ。これは「どれだけ成果を出すか」を提示し、「いくら給料が欲しいか」を申告する制度だ。給料は、会社から見れば社員に対する先行投資だ。社長の木村氏はこれを「覚悟の交換」という。会社と社員が未来に対して合意点を探り合い納得いくところを見つける。それは、ロジックではなく覚悟、お互いに覚悟を交わせるところを見つけ合えばその方が健全であり、同じ方向を見て一緒に歩めるという。

 『孫子』に次の一節がある。
 善く戦う者は人を致して人に致されず(虚実篇)
 (戦上手は、自ら主導権を握り、相手に振り回されることはない)

 社員は自ら課題設定を行いそれに没頭する自由を得られる。会社は評価することの煩雑さから開放され、賃上げに悩むこともない。会社も社員も未来に対して投資を行い、積極的にリスクを取る「覚悟」があるからこそ成立する制度だ。「防衛的賃上げ」が人材流出を防ぐための後追いならば、「攻撃的賃上げ」は未来の価値創造のための先行投資だと言えよう。

 同業他社の賃上げ状況を横目で見て、鉛筆を舐めながら「防衛的賃上げ」に悩む経営者からすれば、「木村石鹸工業」は羨ましい会社だ。そして戦上手な社員を育てることが、経営の最優先課題であることに気づかされた放送であった。 以上
#歴史に学ぶ経営

19/05/2026

歴史に学ぶ経営番外編145『崩れゆく「共助」、試される日本のモラル!?』

 小学生の頃、毎朝校門前の交差点で交通整理をしてくれる中年の男性がいた。雨の日も風の日も、「オハヨウ!」と元気に呼びかけ、子供達も「おはようございます」と挨拶を返して登校していたことを思い出す。今も交通量の多い交差点にはPTAのママさん達が交替で立ち、子供達の交通安全を見守っている。昔も今も、地域社会には「子供達を見守ろう」という大人達の意志がある。

 将来ある若者が無責任な大人のせいで命を落とす事件が頻発している。沖縄県名護市辺野古沖の小型船転覆事故や福島県郡山市の磐越自動車道のバス事故だ。これらの惨事を受け、松本文部科学相が再発防止策の検討指示を出したわけだが、どこまで有効な手立てを打てるだろうか?

 そもそも今回事故を起こした関係者達(学校、旅行会社、政治団体、直接間接に関与した個人)に、子供達の安全を「見守ろう」という意志など全くなかったことは明白だ。良識ある謝罪の言葉も、積極的に責任を取ろうとする態度も見られない。しかも白バス・白船(未登録の船舶)の利用という最初から法律を無視した行為が大惨事を招いている。見方によっては脱法行為による殺人だ。

 日本人は、歴史的に見ても「共助」を大切にしてきた民族だ。自然災害の多さがその理由のひとつかも知れない。お互いを尊重し助け合うことが生存確率を高めることを自然と学んできた。我々の美しく誇るべきDNAだ。しかし保身に終始する事件関係者の姿を見ていると、その美徳が大きく崩れ始めていることに気づく。「法律さえ守っていれば、二つの事故は防げたかも知れない。」というコメンテーターの言葉が脳裏に残る。

 「人は群居して後に生きる」と荀子は言った。人間は爪も牙も持たない弱い存在だが「群」を作るから強くなる。協力・分業・組織化によって生存が可能になる。しかし群れるだけでは争いになる。富の収奪、権力闘争が起きる。つまり「共助だけでは足りない」。そこで「礼」が必要になると荀子は言う。「礼」とは単なる礼儀作法ではなく、社会秩序、役割分担、規範、法などを含む広い概念だ。

 先の2件の事故は、遵法意識さえどこかに置き忘れた事件だ。「見守り」や「共助」などという美しい次元からはかけ離れた、最低限の基準さえ逸脱した犯罪行為だ。関係者には厳しい処罰が下されて然るべきである。日本人のモラルが崩壊したことを示す端的な事例だ。しかしこれは極端に歪なレアケースだと思いたい。今朝も横断歩道に立つPTAのママ達さんには「共助」の高い志がある。心からそう信じている。 以上
#歴史に学ぶ経営

12/05/2026

歴史に学ぶ経営復刻版40『悩みと思うな、課題と思え?!』

 「悲観は感情、楽観は意思」と言ったのはアランであったか。「悩み」と言えば後ろ向きの感情のような印象だが、「課題」と捉えれば客観的な問題解決につながるのではないか、そう考えて、常に自らに言い聞かせているのが今回のタイトルだ。

 今から5年前コロナ禍のど真ん中、我が家に大問題が発生した。父が認知症、母が子宮ガンを発症したのだ。当時の年齢は、父が85歳で母が80歳。年相応の持病は当然あろうが、まさかいきなり二人同時に!?と当時は少し狼狽えた。ある程度の覚悟はしていたが、まさかのダブルパンチは全くの想定外のことであった。

 兎にも角にも先ずは敵をよく知らねばならない。「認知症」と「ガン」に関する書籍や資料を収集し、ふたりの症状と照らし合わせてみたり、医師からの治療方針を再確認したりとにわか勉強を始めた。医療のことなどは全くの専門外だが、素人ながら知識を深めていくと、人体の精妙さに驚いたり、疾病を社会問題として捉え直す必要性に気付いたりと今まで見えていなかった世界が急に目の前に広がり、知的好奇心が刺激されるのを感じた。こうなると「悩み」が「課題」に転化しやすくなることは言うまでもない。

 能く自ら保ちて勝ちを全うするなり。(『孫子』形篇)

 彼の国の古典にも、自らを冷静に保ち己を見失わないことの重要性が示されている。感情的になって現状認識を誤ってはならない。幸い父はまだ初期段階で自分の身の回りのことは全て自分で行うことができる。早めに気づいたのは僥倖であった。友人の脳神経外科医が今もケアをしてくれている。感謝しかない。

 母はステージⅡであった。取り敢えず通院での放射線治療ということで方針が決まった。最初の治療の日は心配したが、「10分で終わった。なんともない。」と病人には見えない様子で戻ってきた。その後暫くして、放射線治療の効果が表われ、癌は小さくなった。担当の外科医は摘出手術を勧めたが、年齢を考慮して断った。正解であった。経過観察は続けているが、85歳になった今も元気で自分で車を運転している。

 先日、施設にいる義母のお見舞いに行ってきた。胸骨骨折で動けなくなり、暫く入院した後、介護施設に入所した。入所してちょうど一年になるが、介護認定が4から2に改善したとのことで、こちらもひと安心。昨年は同時期に父が肺浮腫で市民病院に入院し、心配事が重なったが、現在はみんな元気で暮らしている。アクシデントの都度、不安な気持ちにはなるが、状況を客観的に分析し、できることを粛々と遂行するしかない。「悩み」とは感情の停滞だが、「課題」とは行動の出発点である。

 世の中のお困りごとや人々の悩みを解決できれば、それはビジネスになる。日本が老人大国であることは言うまでもない。BTCをビジネスモデルとしている企業であれば、ターゲットを老人にフォーカスすれば新たな展開が期待できるかも知れない。実際にいくつかのアイデアが頭に浮かんだ。但し、注意すべき点が一つある。

 利に放(よ)りて行えば、怨み多し。(『論語』理仁第四)

 死ぬときが一番金持ちと言われる日本人であるが、それを当て込んで金儲けに走りすぎると思わぬしっぺ返しを食らうかもしれない。正しい理念を掲げ、世の中のニーズに応え続けることが、社会の公器たる企業の務めであることは論を待たない。企業が社会の課題を真摯に見つめ、理念をもって解決に挑むとき、悩みは価値へと転化する。  以上
#歴史に学ぶ経営

05/05/2026

歴史に学ぶ経営復刻版39 『面倒くさい部下への対処法?』

 文学部に在籍していた学生時代、「個性と偏向性は違う」と先生から言われたことがある。小説には実に様々な個性を持った人間が登場するが、時としてサイコパスのような人物の登場を見ることがある。もちろんストーリーを面白くするためには、非日常的な要素が必要であることは認めざるを得ない。そして一人の主人公にフォーカスして、その解像度を高めていけば、その内面の異常性が強調される場面も少なくない。

 私にとって「個性」と「偏向性」の違いは今もって不明瞭で、どこで線引きすればよいのか理解に苦しむことがある。「みんなちがって、みんないい」とも思う。しかしその前提には、お互いの立場を尊重する姿勢と謙虚な態度が必要だ。しかし小説やドラマに登場する人物の中には、そんなことは全く斟酌しない役柄もある。そのキャラクターが物語を興味深いものに仕立て上げる一方、平凡な人間から見れば、正体不明のモンスターである。

 フィクションはさて置き、現実世界にも理解不能なモンスターのような人間は大勢いる。コンサル会社の役員をしている妻曰く、最近は特に承認欲求の塊のような人間ばかりである、とのこと。確かに根拠のない自信(これを自惚れというのだが)ばかりがやたらと大きく、自己評価が呆れるほど高い人間が時々いる。部下にこのような人間がいると上司としては面倒なこと極まりない。読者諸賢にも覚えがおありのことだろう。

 マズローの欲求5段階説を持ち出すまでもなく、人には承認欲求がある。承認欲求そのものが悪いわけではない。問題は順序を誤ることだ。実力や実績を示すのが先で、評価はその後だ。ところがモンスターたちは、自分が報われないのは(認められないのは)、環境や上司のせいだと開き直る。「動機付け」なる珍妙な日本語があるせいかも知れない。他人(外部)から動機をつけてもらわなければ、やる気にならないということか? そんな輩には孔子先生の次の言葉を贈ろう。

 位無きことを患えず、立つ所以を患う。己を知ること莫きを患えず、知らるべきことを為すを求む。(『論語』里仁第四)
地位を与えられないことや人に認められないことを悩むのではなく、まず何を為すべきかを考え認められるようなことをせよ【意訳】

 教師と経営者は人を導くという点ではよく似ている。しかし決定的に違うことがある。教師は生徒を選べないが、経営者は社員を選ぶことができる。(勿論、社員にも会社を選択する権利はある。)経営理念に心から賛同できる人を採用しなければならない。経営理念を自らのモチベーションに出来る人を採用するのだ。経営理念こそ会社の「在り方」と社員の「生き方=働き方」を繋ぐものだ。社長は経営理念に自らの哲学を込め、採用の基準とすることができる。この大きな武器の力と可能性に気づかなければならない。モンスターの対応に苦慮する前に、採用の段階でモンスターをはじき出すことが必要だ。「入り口」が肝要である。 以上
#歴史に学ぶ経営

28/04/2026

歴史に学ぶ経営番外編144 『昭和天皇を偲んで!?』

 4月29日は天皇誕生日——そう思ってしまうのは、昭和生まれの世代だろう。生まれてから四半世紀以上、この日はずっと天皇誕生日だった。それがいつの間にか「昭和の日」になり、一時称された「みどりの日」は5月4日に移り、天皇誕生日は2月23日へと変わった。時代の移ろいを感じる。

 子供の頃、天皇誕生日と聞くと、ゴールデンウィークの始まりというだけで胸が躍った。特別どこへ行くわけでもないのに、テレビで一般参賀の様子を見ながら、日本の平和をありがたく思った記憶がある。戦後の荒廃の中、国民が飢えないようにと、皇室の貴重な品々をマッカーサーに差し出してまで食料確保に尽力されたのが昭和天皇だと聞いた。

 雲の上の存在のように思える皇室だが、これがあるからこその日本だと幼い頃から感じてきた。おそらく祖父母の影響だろう。「国体」という言葉を知ったのはずっと後になってからだが、皇室を抜きにして日本の国体は語れない。初代神武天皇から今上陛下まで続く皇室は世界最古の王朝であり、国際社会でも「エンペラー」の称号を持つのは日本の天皇陛下だけだ。日本人はもっと皇室に敬意を払い、誇りに思うべきだと思うが、あまり言い過ぎると右翼と誹られそうなのでこの辺にしておく。

 我々は普段、西暦と和暦を併用しているが、もうひとつ「皇紀」がある。今年は皇紀2686年にあたる。記紀に記された我が国の歴史はかくも古く、連綿と続いている。世界でも稀有な国家であることは間違いない。現代に生きる我々が考えるべきは、2千年以上にわたり日本人が護ってきた皇室を、次世代にどう伝えていくかということだ。先人たちが大切にしてきた価値観を、どのように尊重し継承していくかということでもある。

 女性天皇と女系天皇の違いも分からぬ似非フェミニスト達が「天皇は女性でも良い」と軽々しく口にするが、2千7百年近く守り抜いてきた先人達の智慧と思いを、耳かきほどでも斟酌せよと言いたい。その浅知恵が日本の歴史に比肩するなどと考えぬことだ。皇室が世界から尊敬を集めるのは、万世一系という統一王朝の伝統そのものにある。

 世界から尊崇の対象となる皇室であるからこそ、その存在を疎ましく思う者もいる。「国体」としての皇室を破壊することは、日本そのものを破壊することと同義だからだ。神武天皇の詔勅に「兼六合以開都、掩八紘而為宇(この世のすべての民が、一つの家に住むように仲良く暮らしていこう)」とあるように、日本は建国の瞬間から平和を希求する国家である。しかし、国の四方をそれに挑もうとする国々に囲まれていることも忘れてはならない。

 戦後教育の中で、我々は日本の神話や皇室についてほとんど教えられてこなかった。日本は、神話に起源を持つ一族が民族の中心=皇室として存在し続けている、世界でも唯一の国家だ。その尊い歴史に誇りを持ち、後世に継承していく義務が我々にはある。「昭和の日」に取り留めもなく考えたことを記しておく。 以上
#歴史に学ぶ経営

21/04/2026

歴史に学ぶ経営復刻版38 『成功パターンを共有するには?』

 社会人一年目のとき、上司から最初に任された仕事のひとつがマニュアル作成だった。正直に言えば、「なぜ自分が」と感じたものだ。業務をよく知らない新人より、経験豊富なベテランが作るべきだと思ったからだ。しかし実際には逆だった。ベテランは仕事を“分かりすぎている”ため、新人がどこでつまずくのかが見えにくい。一方新人は、分からない点をそのまま言語化できる。結果として、「なぜその手順なのか(WHY)」まで含めたマニュアルになりやすい。単なる手順書であれば誰でも作れる。しかし良いマニュアルとは、「なぜそうするのか」が理解できるものだ。このWHYの有無が、使えるマニュアルと使えないマニュアルを分ける。

 そもそもマニュアルとは何か。それは、現時点における成功パターンを形式化したものである。ここで「現時点」とあえて付けるのは、環境や条件が変われば最適な方法も変わるからだ。つまりマニュアルとは、不変の正解ではなく、その時点で最も再現性の高い成功事例の共有ツールなのである。例えば、ある営業チームで成果を上げている担当者の行動を分解してみると、初回接触のタイミング・ヒアリングの順序・提案の切り口、といった共通パターンが見えてくる。これらを言語化し、誰でも再現できる形にしたものがマニュアルだ。

 ところが「マニュアル対応」という言葉には、どこか否定的な響きがある。これは、手順だけをなぞり、WHYを理解していない状態を指す場合が多い。WHYを理解していないと、状況が少し変わっただけで対応できなくなる。いわゆる「気が利かない対応」だ。逆に、WHYを理解していれば応用が利く。手順は崩れても、本質は外さない。変化の激しい時代に必要なのは、マニュアルを捨てることではない。WHYまで含めて共有することである。

 経営においては、コントロールできるものとできないものがある。市場環境や景気はコントロールできないが、社内の成功パターンの共有はコントロール可能だ。しかし現実には、多くの企業でこれが進んでいない。ノウハウが個人の頭の中に留まり、組織として蓄積されない。結果として、担当者が変われば成果もリセットされる。「会社」というより、「ひとり親方の集合体」になってしまっている。

 「変化が速いからマニュアルを作る暇がない」という声もある。だが、完璧なマニュアルである必要はない。まずは成功事例を簡単に共有するだけでもよい。なぜうまくいったのか、どこがポイントだったのか、この2点が分かれば十分だ。重要なのは、暗黙知を形式知に変えること、そしてそれを共有する仕組みを作ることである。

 ここで思い出したいのが、論語の一節である。
「民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず」
(人は従わせることはできても、その理由まで理解させるのは難しい)

 現代の組織においてはこの逆が求められている。単に従わせるのではなく、なぜそうするのかを粘り強く伝えることがリーダーの役割である。成功パターンを共有することは、単なる効率化ではない。組織力そのものを高める行為である。そのために経営者が今すぐできることはシンプルだ。①成功事例を言語化させる、②共有の場(社内WEB等)を作る、③貢献した社員を正当に評価する。この3つを回し続けるだけで、組織は確実に変わる。成功は個人の中に閉じ込めておくものではない。再現されてこそ価値になる。それを仕組み化することこそが、経営者の仕事である。 以上
#歴史に学ぶ経営

14/04/2026

歴史に学ぶ経営復刻版37 『多様性はマネジメントできるか!?』

 年を取ったせいだと思う。寺社を巡るのが楽しみになっている。歴史的建造物や仏像、伝統美術を観て回る機会が増えた。学生時代は4年間京都で過ごしたが、その頃は全く興味が湧かなかった。とてももったいないことをしたと思うが、仕方がない。そう思うのもやはり年のせいだ。

 宗教そのものにそれほど興味があるわけではないが、古来より伝わる神仏習合の多神教的宗教観に居心地の良さや安心感を覚えるのは、日本人のDNAのなせる技であろうか。世界人口の約3分の一を占めるキリスト教徒が、国内では約1%に留まっていることをみても、価値観の土台が大きく異なることが分かる。

 そもそも人間性の捉え方が、我が国と西洋とでは根本的に異なる。日本では「七歳までは神のうち」であり、死んだら神様・仏様になる。一方キリスト教では、アダムとイブが神に背いて禁断の木の実を食べてしまったという人類最初の罪、つまり「原罪」を背負って生まれてくると考える。だから罪を懺悔する告解室が教会にあるわけだ。

 象徴的に言えば、日本人は性善説、西洋人は性悪説が人間理解のベースにある。だから「同じ価値観を共有する」などと軽々しく言ってはならない。そんなに簡単に理解し合えるわけがないと思っておくぐらいが丁度いいのだ。世界の成り立ちからして、日本神話とキリスト教では違いを見せる。唯一絶対の神が「天地創造」を行う西洋に対して、我が国では自然が神々を生ぜしめた。人間観だけでなく世界観も彼らとは異なるわけだ。

 この価値観の差異は、経営の現場でも無視できない。企業文化は、組織が共有する前提や行動規範の上に成り立つ。異なる価値観を持つ人材が加わると、摩擦が生じることは避けられない。多様性は組織の力になる一方で、「何を大切にするか」という根本理念が共有できなければ、組織は簡単に分裂する。

 日本の人口減少を背景に、移民の受け入れを推奨する話を最近よく耳にする。決して人種差別主義者ではないが、移民受入に関しては基本的には慎重派だ。「多様性」という美名の元に「理解し合えるはずだ」という楽観を持つことは、経営においても国家運営においても危険である。

 企業が経営理念に共感できない人材を採用しないのと同じように、国家もまた、社会の根幹となる価値観を共有できるかどうかを慎重に見極める必要がある。日本語の理解は最低条件であり、日本のルールやマナーを尊重できるかどうかは、社会の安定に直結する。

 多様性を受け入れることは必要なことかも知れないが、「何を守るべきか」という軸を曖昧にしたままでは、組織も国家も持続可能性を失う。価値観の違いを理解し、適切にマネジメントすることこそが、これからの指導者に求められる視点である。 以上
#歴史に学ぶ経営

07/04/2026

歴史に学ぶ経営145 『ピッカピカの一年生!?』

 毎年この時期になると、真新しいランドセルを背負った小学生が、上級生に付き添われながら通学する姿を見ることが出来る。文字通り「ピッカピカの一年生」だ。一方、駅のコンコースを歩くと、スーツにまだ馴染んでいない如何にも新入社員といった様子の若者を数多く目にする。桜が咲き、そして散りゆく春は、日本人の新たな生活がスタートする節目の季節でもある。

 「ピッカピカの一年生」だった頃の記憶はほとんどないが、社会に出た時のことは鮮明に覚えている。入社早々、雪深い山中で“地獄の特訓”なる研修に放り込まれた。今思えば、理不尽極まりない合宿研修は、その後の超ブラックな職場環境に適応させるための下準備だったのかも知れない(笑)。途中で脱落者も出る過酷な内容であったが、社会人最初の体験が強烈であったせいか、その後の人生で多少のことでは驚かなくなった。

 自分のことはさておき、昨今の新社会人はどのような人達なのか?デジタルネイティブとかZ世代とか言われる若者達に、どう接したらよいのかとお悩みの経営者や管理者も多いことだろう。ある採用調査会社によれば、2026年度新人の特徴は、「タイムパフォーマンス(タイパ)」と「心理的安全性」を最重視する傾向にあるとのこと。指導法としては、一方的な指示出しはNG。「なぜやるのか(意味づけ)」と「即時のフィードバック」が信頼関係のカギだそうだ。

 新人の特徴はともかくとして、指導法については何も特別なことではない。昔から、出来る先輩・信頼される上司と言われる人達が当たり前にやってきたことだ。教える側も学ぶ側も、“WHY”から始めるのがスキル上達の最短コースであることに変わりはない。物事の本質を捉えるのに、昔も今も違いはないのだ。新人を受け入れる側が、「最近の若者は…」と別種扱いしすぎない方が、むしろうまくいく。

 『論語』に次の一節がある。
 之を知る者は、之を好む者に如かず、之を好む者は、之を楽しむ者に如かず(雍也篇)
 (知識があっても好きでやっている人には及ばない。好きでやっていても楽しんでいる人にはかなわない)

 先輩社員が楽しんで仕事をしている職場であれば、新人の「心理的安全性」も健全に保たれることだろう。そして自分自身が仕事を楽しめるようになれば、時間感覚がなくなり、自分がコントロールしているという充実感でタイパなど気にならなくなる。経営者や管理者の課題は、仕事を楽しめる環境をどのように創り出すのか、ということになりそうだ。ピッカピカの新入社員が安心して成長するには、周囲の大人が楽しそうにしていることが一番の教材だ。 以上
#歴史に学ぶ経営

31/03/2026

歴史に学ぶ経営復刻版36 『故事に学ぶリスク管理の基本!?』

米国がイラン攻撃を開始して、一ヶ月が経とうとしている。最新のニュースによれば、米陸軍の精鋭部隊「第82空挺師団」の数千人規模の兵士が中東地域への展開を開始した。混乱の長期化が危惧される。年初のベネズエラへの軍事行動に始まったトランプ大統領の対外政策には賛否両論がある。これに対して外交・軍事の専門家でもない素人があれこれ言っても仕方がない。大事なことは、不測の事態が起きたときにどのような対処が必要であるかを日頃から考える癖をつけておくことだ。

数年から十数年に一度、危機的状況は必ず巡ってくる。今世紀に入ってからも、リーマンショック(2008年)、東日本大震災(2011年)、コロナ禍(2019年)、ロシアによるウクライナ侵攻(2022年)といくつもの大きな危機を経験している。その度に思い出すのが史記にある「狡兎三窟(こうとさんくつ)」の故事である。「かしこいウサギは、三つ穴を掘る」というのが文字通りの意味だ。天敵に襲われひとつの穴を潰されても、まだ二つある。二つ潰されてもひとつ残り、そこに逃げ込み生き延びることができる。つまり賢い兎は常に準備を怠らないという話だ。

平和ボケした日本人はひとつ穴を掘ると安心してしまうお人好しのウサギのようだ。経済合理性が成立するのは、平時(平和が続く状態)のみであることをよく理解しておかなければならない。サプライチェーンの分断が危機的状況をもたらすことは、身に染みて分かっているはずなのに対策が十分に練られていない。今更“重要物質安定確保”担当に赤沢大臣を指名したところで後の祭り。9割以上の原油を中東に頼っている事実は今に始まったことではない。戦時に対する備えが致命的に欠落している。

経営者も平時のことばかり考えていてはいけない。経営資源が乏しいときは、ひとつの事柄に集中しなければ効率が悪い場合もあろう。しかしリスク分散は常日頃から考えておく必要がある。得意先しかり、供給元しかり、商品ラインナップしかりである。ひとつの得意先(顧客カテゴリー)、ひとつの商品(群)が売上の3割以上を占めるのは非常に危険だと肝に銘じなければならない。調達先も、いざという時のために複数用意しておくことが必要だ。「経済合理性」と「リスク分散」はある意味トレードオフかも知れないが、そのバランスを取ることこそが経営の妙と言えるだろう。

ダメな経営者ほど調子の良いときは自分の実力と思い込み、悪いときは環境のせいだと開き直り反省しない。普段から自社の経営の弱点をよく観察し、それを補うための方策に知恵を絞らなければならない。得意先の数を増やす、新商品の開発に力を注ぐ、サプライチェーンの見直しを行うなどは、リスク管理の視点からもルーティーンとしなければならないのだ。

善く戦う者の勝つや、智名も無く勇功も無し(『孫子』)
(戦上手が勝った場合には、智謀すぐれた名誉もなければ武勇すぐれた手柄もない
→戦上手は当たり前のように勝つ)

リスク管理に優れた企業は、不測の事態が生じても右往左往することはない。想定外を想定内にする経営を日頃から心がけているからだ。読者諸賢の会社も、想像力を駆使して、新しい穴を創造して欲しい。ウサギにできることが人にできない訳はない。 以上
#歴史に学ぶ経営

24/03/2026

歴史に学ぶ経営番外編143 『女は愛嬌!?』

松下幸之助は、経営トップに求められる資質として、見識や熱意、誠実さなどと並んで、「人に好かれること=愛嬌」を非常に重視したと聞く。彼の考えでは、経営は一人ではできず、多くの人の協力で成り立つものであり、そのためには「この人のためなら力を貸したい」と思われる人格が不可欠だと言うのだ。

さて、3月20日のトランプ米大統領との首脳会談に臨んだ高市総理だが、この「愛嬌」を遺憾なく発揮したと言えよう。外交専門家の間でも今回の会談を高く評価する声は多い。勿論、トランプ氏に抱きつくのは不自然だとか、媚びを売りすぎだと批判する向きもある。しかし「猟師も胸中の鳥は撃たず」という言葉がある。高市総理は文字通り、「女は愛嬌」を武器に再会の瞬間から主導権を握ったと評価できる。

そして「世界に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」という決め台詞。ヨイショが過ぎるとの批判があるが、そうではない。イラン攻撃を始めたのがトランプなのだから、彼が鉾を収めない限り戦争は終結しない。NATOや他のG7の首脳が上から目線でトランプを非難する態度とは異なり、高市総理は寄り添う形で事実を述べた。世界で最も権力を握る男に対し、やんわりと釘を刺したと言えなくもない。真偽のほどは彼女のみ知る。

話を松下幸之助に戻そう。彼の言う「愛嬌」は、現代でいうところの「かわいげ」や「フレンドリーさ」以上の意味を持つ。松下の語る「愛嬌」とは、人の意見を素直に聞ける柔軟さ、自分の非を認められる謙虚さ、周囲を和ませる人間的な温かさ、威張らず、親しみやすい態度といった要素を含んでいる。つまり能力があっても、近寄りがたい人は組織を動かせない。多少不完全でも、愛嬌がある人には人が集まるという実践的なリーダー論だ。

現役時代、松下の言う「愛嬌」を「ブライトスマイル」と言い換え、好業績企業をつくり上げた経営者と知己を得る機会があった。その方は、日本的経営にも米国的経営にも精通されたエリート経営者で、その物腰はあくまで柔らかく、いつも笑みを絶やさない。その同氏が経営幹部に課していたのが「ブライトスマイル」だった。「ブライトスマイル」とは、いつもニコニコしていること。部下からどんな嫌なことを言われても、聞きたくない報告を受けても、絶対にニコニコしていることを義務付けた。

現代はあらゆる業務が専門化・細分化され、知識・情報が組織内に分散する時代だ。経営トップが意思決定を行うことがより困難な時代になった。いかにして全社員の「衆知」を効率よく収集し、共有するかが重要な課題になっている。組織の内外に遍在する知識や情報を知恵に昇華し、有効な意思決定を行うにはインテリジェンスの仕組みも必要であるが、それ以前にトップの魅力・人間力が重要であろう。それを高める第一歩が「ブライトスマイル」なのだ。

トランプ大統領は衆院選で圧勝した高市総理を強いリーダーだと称賛したが、中小企業、特にオーナー企業の経営者は、社員から見れば皆強いリーダーだ。風通しのよい社風を作るためにも、経営トップには「愛嬌」が必要。その具体的施策が「ブライトスマイル」だ。くれぐれも「裸の王様」にならぬように。大きなお世話でした。 以上

住所

Toyohashi-shi, Aichi
441-8022

営業時間

月曜日 09:00 - 17:00
水曜日 09:00 - 17:00
金曜日 09:00 - 17:00

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