19/09/2026
9月19日(土)
子どもの頃、
お墓の前で聞いたことがありませんか。
「これは、ひいおじいちゃんのお墓だよ」
でも。
顔を思い出せない。
声も知らない。
名前だって、
すぐには出てこない。
それなのに、
なぜかお墓参りには行く。
水をかけて、
石を拭いて、
線香を立てて、
手を合わせる。
何をしているのだろう。
そんなことを、
ふと思う年齢があるのかもしれません。
親が年を重ねる。
子どもが大きくなる。
自分自身も、
いつの間にか「次の世代」を
考える側になっている。
そのとき初めて、
「自分も、いつか忘れられるんだ」
ということに気づく。
三代先になれば、
あなたの顔を知らない人がいる。
声を知らない人がいる。
名前さえ知らない人がいる。
少し寂しい話です。
でも。
本当に残るものは、
名前だけなのでしょうか。
124年前の今日、
正岡子規が亡くなりました。
34歳。
子どもはいません。
それでも、私たちは今も、
その人の言葉や仕事に触れている。
人は、
血だけで受け継がれるのではありません。
生き方も、
言葉も、
誰かへの向き合い方も。
気づかないところで、
次の誰かへ渡っていきます。
彼岸に墓石の前へ立つとき。
石の下には過去がある。
ひしゃくを握る手には、現在がある。
そして、その背中には、
未来が立っている。
その小さな目は、
あなたが何をしているかを見ている。
何を教えたかではなく。
何を言ったかでもなく。
あなたが、
どう生きているかを。
いつか誰かが、
あなたの墓の前で、
「この人、誰?」
と聞く日が来る。
そのとき。
名前を知らなくてもいい。
「この人がいたから、
私たちがいるんだよ」
そう言えるものが、
残っていたらいい。
お墓は、
過去をしまっておく場所ではないのかもしれません。
過去と今と未来が、
一瞬だけ出会う場所。
そして、
まだ渡せるものがあると気づく場所。
……そんなことを、
彼岸の風が教えてくれる気がします。
ブログへのリンクはコメント欄においておきます。
#人生 #家族 #安心 #命のバトン #彼岸