100年先のお墓にこだわる射場石利石材株式会社

100年先のお墓にこだわる射場石利石材株式会社 1702年創業。大阪・茨木で320年以上、石と向き合い、家族の想いに寄り添ってきました。

美しい石を選ぶ。
丈夫な石を選ぶ。
そして何年先にも「この石にしてよかった」と思える一石を。

石には個性がある。
家族にも物語がある。

その二つを結ぶのが、私たちの仕事です。

射場石利石材
石とともに、想いを未来へ。

口伝では、当店の創業は元禄十五年(1702年)と聞いていますが、株式会社となったのが平成2年(1990年)。

昨年、おかげさまで設立30周年を迎えることができました。

「世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことである」とは、福沢諭吉の言葉です。

1702年と言えば18世紀。足かけ四世紀もの長い間、先祖代々、一つの仕事に従事して来られたことは本当にありがたいことです。
改めまして、これまで何かとごひいきにしていただきましたお寺さま、各墓地の歴代の墓地委員の皆さま、氏子の皆さま、神職の皆さま、そして何よりもこれまで当店にお墓づくりや石工事ををご依頼くださったお客さまに感謝申しあげます。
また、合わせて仕入れ先をはじめとするお取引先の皆さま、顧問の皆さま。そし
てこれまで当店で一緒に働いてくださった皆さまに心からの感謝を申し上げます。皆さま、本当にありがとうございました。

9月19日(土)子どもの頃、お墓の前で聞いたことがありませんか。「これは、ひいおじいちゃんのお墓だよ」でも。顔を思い出せない。声も知らない。名前だって、すぐには出てこない。それなのに、なぜかお墓参りには行く。水をかけて、石を拭いて、線香を立...
19/09/2026

9月19日(土)

子どもの頃、
お墓の前で聞いたことがありませんか。

「これは、ひいおじいちゃんのお墓だよ」

でも。

顔を思い出せない。

声も知らない。

名前だって、
すぐには出てこない。

それなのに、
なぜかお墓参りには行く。

水をかけて、
石を拭いて、
線香を立てて、
手を合わせる。

何をしているのだろう。

そんなことを、
ふと思う年齢があるのかもしれません。

親が年を重ねる。

子どもが大きくなる。

自分自身も、
いつの間にか「次の世代」を
考える側になっている。

そのとき初めて、

「自分も、いつか忘れられるんだ」

ということに気づく。

三代先になれば、
あなたの顔を知らない人がいる。

声を知らない人がいる。

名前さえ知らない人がいる。

少し寂しい話です。

でも。

本当に残るものは、
名前だけなのでしょうか。

124年前の今日、
正岡子規が亡くなりました。

34歳。

子どもはいません。

それでも、私たちは今も、
その人の言葉や仕事に触れている。

人は、
血だけで受け継がれるのではありません。

生き方も、
言葉も、
誰かへの向き合い方も。

気づかないところで、
次の誰かへ渡っていきます。

彼岸に墓石の前へ立つとき。

石の下には過去がある。

ひしゃくを握る手には、現在がある。

そして、その背中には、
未来が立っている。

その小さな目は、
あなたが何をしているかを見ている。

何を教えたかではなく。

何を言ったかでもなく。

あなたが、
どう生きているかを。

いつか誰かが、
あなたの墓の前で、

「この人、誰?」

と聞く日が来る。

そのとき。

名前を知らなくてもいい。

「この人がいたから、
私たちがいるんだよ」

そう言えるものが、
残っていたらいい。

お墓は、
過去をしまっておく場所ではないのかもしれません。

過去と今と未来が、
一瞬だけ出会う場所。

そして、
まだ渡せるものがあると気づく場所。

……そんなことを、
彼岸の風が教えてくれる気がします。

ブログへのリンクはコメント欄においておきます。

#人生 #家族 #安心 #命のバトン #彼岸

9月18日(金)子どもの頃、墓石に頬を寄せたことがある。冷たい石に、自分の体温を分けてあげれば、いつか温かくなるんじゃないか。そんなふうに思っていた。もちろん、石は動かなかった。大人になれば、そんなことは当たり前だと分かる。でも。分かるよう...
18/09/2026

9月18日(金)

子どもの頃、
墓石に頬を寄せたことがある。

冷たい石に、
自分の体温を分けてあげれば、
いつか温かくなるんじゃないか。

そんなふうに思っていた。

もちろん、石は動かなかった。

大人になれば、
そんなことは当たり前だと分かる。

でも。

分かるようになったからこそ、
分からなくなることもある。

法要の日。

親戚が集まって、
料理が並んで、
昔話に笑い声まで混じる。

なのに、その真ん中でふと気づく。

ここには、
一番会いたい人だけがいない。

こんなに人がいるのに。

こんなに賑やかなのに。

なぜ、こんなに寂しいのだろう。

お墓は、
「あの人がいる場所」なのだろうか。

それとも──

いないことを知った私たちが、
それでも今日を生きていくための場所なのだろうか。

もし後者だとしたら。

墓石に触れる意味も、
少し違って見えてくる。

人は亡くなっても、
その人の生き方まで消えるわけではない。

言葉が残る。

仕草が残る。

考え方が残る。

愛し方が残る。

そして、それを受け取った誰かが、
また次の誰かへ渡していく。

命は、
身体だけで受け継がれるものではない。

そんなことを、
秋のお彼岸に考えました。

そして、ひとつの問いが残りました。

あなたが大切な人から受け取ったものは、
いったい何だったのだろう。

その答えを、
お墓の前で思い出す人もいるのかもしれません。

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#家族 #人生 #命のバトン #お墓

第19回茨木まちゼミ10月20日(火) 受付開始です。
16/09/2026

第19回茨木まちゼミ

10月20日(火) 受付開始です。

9月16日(水)子どものころ、お墓参りの帰り道に、祖父や祖母から昔の話を聞いたことはありませんか。「あの人は、こんな人だった」「よく笑う人だった」「あなたのお父さんが小さいころはね」そのときは、ただ聞いていた話が。年齢を重ねるほど、なぜか心...
16/09/2026

9月16日(水)

子どものころ、お墓参りの帰り道に、祖父や祖母から昔の話を聞いたことはありませんか。

「あの人は、こんな人だった」
「よく笑う人だった」
「あなたのお父さんが小さいころはね」

そのときは、ただ聞いていた話が。
年齢を重ねるほど、なぜか心に残るようになります。

ふと気づけば、聞きたかった人はもういない。
聞けるはずだったことが、聞けなくなっている。

墓石に刻まれた名前は、黙っています。
けれど、その前に立つ私たちに、何かを問いかけているように感じることがあります。

この名前の人は、どんな人生を生きたのだろう。
誰に愛され、誰を大切にしたのだろう。
そして、その人がいたから、今の自分がいるのではないだろうか。

毎日新聞の記事で、墓石に刻まれた戦没者の名前を、一人ずつ記録し続ける男性のことを知りました。

790人の名前。

大きな数字として語られがちな戦争の記憶を、
誰かの息子として。
誰かの夫として。
誰かの父として。
もう一度、見つめ直す営みです。

お墓は、過去だけを振り返る場所ではないのかもしれません。

名前を読むこと。
名前を呼ぶこと。
「どんな人だったの?」と尋ねること。

その小さな時間が、家族の記憶を未来へ渡していく。

次にお墓参りをするとき、刻まれた名前を一つ、ゆっくり読んでみたくなりました。

その名前の向こうにある物語は、まだ終わっていないのかもしれません。

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#お墓参り #家族の物語 #命をつなぐ #安心できる供養 #記憶を未来へ

9月13日(日)大切な人を見送ったあと、ふと「自分だけが取り残されたようだ」と感じる日があるかもしれません。お墓参りは、悲しみを急いで乗り越えるためのものではなく、故人を想い、自分の心と静かに向き合う時間にもなります。お墓は、過去の人と、今...
12/09/2026

9月13日(日)

大切な人を見送ったあと、
ふと
「自分だけが取り残されたようだ」
と感じる日があるかもしれません。

お墓参りは、
悲しみを急いで乗り越えるためのものではなく、
故人を想い、
自分の心と静かに向き合う時間にもなります。

お墓は、
過去の人と、
今を生きる私たち、
そして
これからの家族をつなぐ場所。

シリーズ「お墓は、命のバトン」では、そんなお墓の意味を考えます。

ブログ【その“ひとり”を、ひとりで抱えなくていい。――シリーズ「お墓は、命のバトン」】へのリンクはコメント欄においておきます。

#お墓は命のバトン #お墓参り #供養 #故人を想う #家族のつながり #命をつなぐ #墓石 #石材店 #射場石利石材

9月12日(土)昔の写真を一枚、手に取ったことがあります。少し黄ばんでいて。誰なのか、すぐにはわからない。でも。その人がいなければ、今の自分はいなかった。そう考えると、急に写真の見え方が変わります。この人は、どんな人生を生きたんだろう。何を...
12/09/2026

9月12日(土)

昔の写真を一枚、手に取ったことがあります。

少し黄ばんでいて。

誰なのか、すぐにはわからない。

でも。

その人がいなければ、
今の自分はいなかった。

そう考えると、
急に写真の見え方が変わります。

この人は、
どんな人生を生きたんだろう。

何を失ったんだろう。

何を守ったんだろう。

どんな日に、
「もう無理だ」と思ったんだろう。

そして。

それでも、なぜ
「ここから」と立ち上がったんだろう。

私たちは、ときどき
「うちの家系なんて、普通ですよ」
と言います。

本当に、そうでしょうか。

知らないだけではないでしょうか。

自分の前に、
何人もの人生があります。

その一人ひとりが、
今日まで命を渡してきた。

そして今、
その続きを生きているのが自分です。

そう思ったとき。

「自分なんて」
という言葉が、
少しだけ言いにくくなる。

……不思議です。

過去を見ていたはずなのに、
見えてきたのは、
自分のこれからでした。

お墓参りとは、
もしかすると、
亡くなった人に会いに行くことだけではないのかもしれません。

自分が、
どこから来たのかを思い出す時間なのかもしれません。

そして。

これから、
どこへ命を渡していくのかを、
静かに考える時間なのかもしれません。

その続きを、書きました。

ブログ【あなたは、一人で生きていると思っていませんか?】へのリンクはコメント欄においておきます。

#人生 #家族 #安心 #命のバトン #お墓

9月11日(金)父の顔を、最後に見たのはいつだっただろう。そんなことを、ふと思い出す瞬間がある。昔は、いつでも会えると思っていた。電話もできる。会おうと思えば会える。「また今度」で済ませられる。だから、後回しにした。言葉にしなかった。聞かな...
11/09/2026

9月11日(金)

父の顔を、最後に見たのはいつだっただろう。

そんなことを、ふと思い出す瞬間がある。

昔は、いつでも会えると思っていた。

電話もできる。
会おうと思えば会える。
「また今度」で済ませられる。

だから、後回しにした。

言葉にしなかった。

聞かなかった。

そして、ある日。

もう、聞けなくなった。

ある息子は、10年以上、父親と話をしていなかった。

父が亡くなり、
その息子は、お墓に何を刻むかを考えることになった。

そのとき、彼は言った。

「あの人が、何を大事に生きたのか。私は、知らない。」

この一言が、なぜか心に残った。

お墓の前で、
人は亡くなった人だけを見るのではない。

その人との時間を見る。

言えなかった言葉を見る。

そして──

自分自身の生き方まで、見えてしまう。

私は、何を大切にしているだろう。

誰を大切にしているだろう。

そして、いつか自分がいなくなったあと、
誰かに何を残せるだろう。

お墓は、死を思い出す場所なのかもしれない。

でも、それだけではない。

残された人が、
もう一度「今日」を生きるための場所でもある。

石は、何も言わない。

ただ、そこに在り続ける。

だからこそ、ときどき人は立ち止まる。

そして、気づく。

まだ、間に合うことがある。

今日なら、言えることがある。

今日なら、会える人がいる。

今日なら、渡せるものがある。

命は、身体だけで受け継がれるものではない。

その人が大切にしたもの。

その人が選んだ生き方。

それもまた、誰かの中へ渡っていく。

お墓を建てるということを考えていたら、
いつの間にか「自分はどう生きたいのか」を考えていた。

そんなことが、あるのかもしれない。

新聞の歌壇にあった一首を基に
その続きを、少しだけ書きました。

ブログ【「死ななかった」と「生きた」は、同じではない。シリーズ「お墓は、命のバトン」】へのリンクはコメント欄においておきます。

#人生 #家族 #命のバトン #安心 #お墓

9月10日(木)「お姉さんに、似てるね」そう言われた瞬間、胸の奥が、少しだけ痛くなった。懐かしい。でも、それだけじゃない。もう会えない人のことを、突然、目の前に連れてこられたような。そんな感覚だった。---昔は、「似ている」と言われるのが嫌...
10/09/2026

9月10日(木)

「お姉さんに、似てるね」

そう言われた瞬間、
胸の奥が、少しだけ痛くなった。

懐かしい。

でも、それだけじゃない。

もう会えない人のことを、
突然、目の前に連れてこられたような。

そんな感覚だった。

---

昔は、
「似ている」と言われるのが嫌だった。

顔のつくりだけじゃない。

笑うときに目を細めるところ。

笑う前に、肩が少し揺れるところ。

別れ際に、
「じゃあ、またね」
と言ってしまうところ。

旅先で、
「こっちの道のほうが面白そう」
と、わざわざ知らない路地へ入っていくところ。

気がつけば、
自分の中に残っている。

姉がいなくなったあとも。

---

人は、
いなくなったら終わるのだろうか。

ふと、そんなことを思う。

写真の中にしかいない。

思い出の中にしかいない。

そう思っていた。

でも。

誰かの仕草になって。

誰かの言葉になって。

誰かの生き方になって。

もう一度、
この世界に現れることがある。

そのとき初めて、
「受け継ぐ」という言葉の意味が、
少しわかるのかもしれない。

---

お墓も、
そういう場所なのかもしれない。

手を合わせるためだけではない。

「あの人は、どんな人だった?」

その物語を、
次の人へ手渡すための場所。

過去をしまっておく場所ではなく。

過去から、
今日を生きる力を受け取る場所。

そう考えると、
お墓の見え方が少し変わる。

そして──

自分の中にいる、
大切な人の面影にも。

少しだけ、
優しくなれる気がする。

続きは、コメント欄のリンクから。

※新聞歌壇に掲載された「もう姉とゆく旅はなく似ていると言われることも悪くはないか」という短歌をもとに、筆者の視点で再構成した物語です。

#人生 #家族 #命のバトン #安心 #生き方

9月 9日(水)道端のお地蔵さんの前で、手を合わせている人を見た。その人は、お地蔵さんの名前を知らないかもしれない。どんな人だったのかも知らない。それでも、手を合わせる。なぜだろう。少し不思議だと思った。一方で。自分の家のお墓には、父の名前...
08/09/2026

9月 9日(水)

道端のお地蔵さんの前で、
手を合わせている人を見た。

その人は、
お地蔵さんの名前を知らないかもしれない。

どんな人だったのかも知らない。

それでも、手を合わせる。

なぜだろう。

少し不思議だと思った。

一方で。

自分の家のお墓には、
父の名前がある。
母の名前がある。
祖父母の名前がある。

顔も知っている。

声も覚えている。

一緒に過ごした時間もある。

それなのに、
忙しさの中で、何年も手を合わせていない。

この違いは、なんなのだろう。

たぶん私たちは、
お墓に「死んだ人」を見に行っているのではない。

そこに刻まれた名前を見ながら、
自分がどこから来たのかを思い出している。

そして、ふと気づく。

自分もまた、
誰かから受け取ったものを持って、
今日を生きているのだ、と。

名前を刻む。

花を供える。

手を合わせる。

一見すると、
亡くなった人のための行為に見える。

でも本当は。

今日を生きている自分のためなのかもしれない。

そして、その姿を見た子どもが、
いつかまた、その子どもに伝えていく。

「この人はね。」

そこから、また物語が始まる。

お墓は、
死の終着点ではないのかもしれない。

命のバトンが、
次の人へ渡っていく場所なのかもしれない。

そんなことを考えていたら、
あのお地蔵さんの前で手を合わせていた人の姿が、
少し違って見えてきた。

あなたが手を合わせているのは、
本当に「死者」なのだろうか。

その答えを、
少しだけ考えてみました。

ブログ【あなたが手を合わせているのは、死者ではない。シリーズ「お墓は、命のバトン」】へのリンクはコメント欄においておきます。

#人生 #家族 #安心 #命のバトン #生き方

9月 8日(火)昔、祖父の家で。仏間に座っていると、ふと、お墓の話になりました。子どもの私には、ずいぶん遠い話に聞こえました。「お墓なんて、まだ先の話だろう」そう思っていました。でも。歳を重ねると、少しずつ見えるものが変わってきます。親の背...
08/09/2026

9月 8日(火)

昔、祖父の家で。

仏間に座っていると、
ふと、お墓の話になりました。

子どもの私には、
ずいぶん遠い話に聞こえました。

「お墓なんて、まだ先の話だろう」

そう思っていました。

でも。

歳を重ねると、
少しずつ見えるものが変わってきます。

親の背中。

子どもの成長。

自分がこれまで選んできた道。

あのとき、
別の道を選んでいたら。

あの人に、
あの言葉を言わなければ。

もっと頑張っていたら。

もっと早く気づいていたら。

人生には、
ときどき「やり直したい」と思う瞬間があるものです。

けれど──

今日という日は、
もう戻ってこない。

消しゴムもない。

書き直しもできない。

だからこそ、
不思議なことがあります。

人は、
完璧に生きたから残るのではないと思います。

迷ったことも。

失敗したことも。

誰かを大切にしようとしたことも。

何気なくかけた一言も。

そういうものが、
いつの間にか誰かの中に残っていく。

そして、
次の誰かへ渡っていく。

お墓に刻まれるのは、
名前だけではないのかもしれません。

そこに生きた人が、
何を大切にしていたのか。

どんなふうに家族を愛したのか。

どんな背中を見せていたのか。

その記憶まで、
静かに受け渡されていく。

だから私は思います。

お墓は、
死を見つめる場所ではない。

「自分は、今日をどう生きるのか」

それを、
そっと思い出す場所なのではないか、と。

もし今、
人生のどこかで立ち止まっているなら。

急いで答えを出さなくても大丈夫。

ただ、
今日という一日を見つめてみる。

その一日もまた、
いつか誰かに渡っていくのだから。

そして、もう一つ。

明治という時代に、
日本人の「時間の捉え方」を変えた出来事がありました。

その話から始めると、
お墓の見え方まで、少し変わってきます。

ブログ【人生には「やり直しボタン」がない。だから、今日を刻む。シリーズ「お墓は、命のバトン」】へのリンクはコメント欄においておきます。

#人生 #家族 #安心 #命のバトン #生き方

住所

新和町16-19
Ibaraki-shi, Osaka
567-0855

営業時間

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火曜日 08:00 - 18:00
水曜日 08:00 - 18:00
木曜日 08:00 - 18:00
金曜日 08:00 - 18:00
土曜日 08:00 - 18:00
日曜日 08:00 - 18:00

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