板東秀行・おにやんまのブログ

板東秀行・おにやんまのブログ ヴァンガード経営研究所(VAN-KEIEI)は、企業経営に役立つ公開セミナーや?

企業経営を支援するヴァンガード経営研究所です。人財づくりを中心にとしたコンサルティングは、長年の経営体験とサポート実績に基づいています。企業内社員研修プログラム、特に行動科学に基づく脳力開発とマネージメントゲームをお勧めします。また、企業経営者や社員を対象とした公開セミナーを全国各地で開催しています。

ヴァンガード経営研究所の基幹事業は3つです。
 1.公開セミナー  脳力開発・人間学、MG/CFMG、企業会計塾 ほか
 2.企業内研修  階層別、職種別、内容別に多種多様なプログラム
 3.経営サポート  企業理念、経営戦略、事業再建、事業承継 など

Vol.1332第9回米百俵MG(2日目)  #実学戦略会計本来のテーマは「実学戦略会計」ですが、土日に開催されましたMGセミナーはまさ戦略会計を実学として学ぶ場です。そしていかに現実の会社の中で実現(実践)していくかが大切なポイントです。...
30/08/2026

Vol.1332
第9回米百俵MG(2日目)  #実学戦略会計

本来のテーマは「実学戦略会計」ですが、土日に開催されましたMGセミナーはまさ戦略会計を実学として学ぶ場です。

そしていかに現実の会社の中で実現(実践)していくかが大切なポイントです。セミナー2日目の西先生の講義は、まさに熱の籠もった話でした。

私自身も自分(の経営していた会社)を振り返って、自分たちが実践してきたことを改めて振り返っていました。

実質債務超過状態で累積赤字と不良資産を抱えた会社を、いかに企業再建して「いい会社」に育て上げるか、MGを社員の皆さんと共に学び、実践していきました。

私1人ではとてもできなかったことでもあるし、共に学んだからこそ自社の状態を共有でき、どうしたらいいかを共通の言葉で語り合えました。

時には私の考えでいささか強引に取り組んだこともありましたが、多くは現場をよく知っている社員たちが自ら考え実行してくれたことでした。

二日間のMGの学びは、経営ゲームを通じて互いの体験を創り共有していくことであり、西先生や私のような体験者がその体験を伝える場でもあります。

MGセミナー前日に開催しているOA(マイツール)大会も、MGで学んだことを実務に活かすことに最も役立つ「道具」であるという位置付けです。

それはExcel(や他のアプリ)でもできるのではないかといわれます。その通りです、つまり同じ種類の操作(技術)は何でもできるでしょう。

しかしリテラシーすなわち利用技術がもたらすモノ、あるいはそこに至るための思考は真似ができないモノです。

私の会社もそうでした。当時はまだExcelなどもなく「マイツール」の活用がためらいもなくできる好運がありました。

過ぎ去った過去のことではありますが、人間(の思考と行動)がどういうように変わっていくのか。その実際例を色々とお話しさせていただきました。

そんな機会を作っていただいた西先生に心より御礼を申し上げます。

Vol.1331朝の散文/第9回米百俵MG開催  #朝の散文週末の新潟県地方は雨模様で気温もかなり下がりました。昨日の朝の気温は21℃くらい、日中も25℃前後と過ごしやすい土曜日でした。そんな昨日の朝から、MG(マネージメントゲーム)の開発...
29/08/2026

Vol.1331
朝の散文/第9回米百俵MG開催  #朝の散文

週末の新潟県地方は雨模様で気温もかなり下がりました。昨日の朝の気温は21℃くらい、日中も25℃前後と過ごしやすい土曜日でした。

そんな昨日の朝から、MG(マネージメントゲーム)の開発者である西順一郎先生をお招きしての第9回米百俵MGが長岡市で始まりました。

かつて私が在社していた会社の社員研修としてスタートしたのが1990年の夏、翌年から「半公開」研修に切り替えて今年で35年目です。

92年からは西先生をお招きする「長岡MG」となり、2017年からは「米百俵MG」と名前を改め、新型コロナの年に1回だけ中止がありましたが、ずっと継続しています。

今回も北は宮城県から南は鹿児島県まで、定員いっぱいの48名の参加をいただきました。前日のOA大会から参加された方もあって、ありがたいことです。

このOA大会も当初は私の会社の勉強会として1991年から始まり、数年後から仕事の事例発表会の形になると共に、他社からの見学参加もOKに。

20年くらい前からは参加者から4~5名の発表をいただいたり、年によっては講師による特別講義を入れた年がありました。

毎年コンスタントに参加者をお迎えできているのは嬉しいことです。実はもっと嬉しいことに申込初日で、すぐに定員に達してしまうことです。

今年も半年近く前に朝早くから参加募集をスタートしたのですが、アッという間に埋まってしまい「特別枠」(県内枠・初心者枠など)以外はいっぱいになりました。

そして初日の夜は大交流会、今年も新潟の地酒がずらりと並びました。もちろん単なる呑み会ではなく、「ご縁を結ぶ」大切な時間です。

余韻を残しながら2日目への決意も語られたことと思います。

Vol.1330戦国女性巡り(2)お市の方  #戦国女性ものがたりでは戦国女性の2回目は、その中でも最も名前を知られた方であろう「お市の方」です。大河ドラマ『豊臣兄弟』にも主役級で登場、でもそろそろ・・・お市といえば信長の実の妹すなわち母が...
28/08/2026

Vol.1330
戦国女性巡り(2)お市の方  #戦国女性ものがたり

では戦国女性の2回目は、その中でも最も名前を知られた方であろう「お市の方」です。大河ドラマ『豊臣兄弟』にも主役級で登場、でもそろそろ・・・

お市といえば信長の実の妹すなわち母が同じ土田御前ですが異説もあります。浅井長政に嫁ぐまでの前半生は殆ど資料に記述がないのです。

そこでは小谷殿あるいは小谷の方と書かれていますが、要は第2代将軍徳川秀忠の正室(お江)の母であるという存在です。

浅井氏は長政の父の代には南近江の六角氏に抑えられていましたが、長政は信長の妹を娶ることで存在感を高めて北近江の勢力を確かなものにします。

信長もまた京都への道筋を確保するために浅井氏を味方にすることには大きな意味がありました。琵琶湖の水路を活用できるメリットも大きかったわけです。

そこで政略結婚と言われるわけですが、長政とお市の中は非常に良かったようで、3人の姫にも恵まれます。

永禄11年(1568)に信長は六角氏を叩いて後に、足利義昭を立てて上洛、義昭を室町幕府15代将軍の座につけました。

この頃が織田浅井の蜜月期でしたが、それは間もなく破綻します。信長が約束を破って越前の朝倉氏を攻めたことが要因と言われますが真相は闇の中。

それが元亀元年(1570)で3年余の交戦状態が続き、ついに元亀4年小谷城が陥落し長政は自決、お市と3人の姫は助け出されました。

当時このような事態になっても嫁は実家に無事戻されるのが常で、男子はともかく女子もまた引き取られることが常識でした。

その後のことは省略しますが、そのことからすると北ノ庄でお市が柴田勝家と共に自決したのは、ある意味異例のことだったと思います。

そこにお市の方の強い意思が働いていたことは間違いなく、それが何であったのかは様々に憶測されています。

勝家はもちろんお市を逃がす心づもりで秀吉側と交渉していましたし、秀吉も受け入れを承知していたはずです。ですが城を出たのは三姉妹のみ。

天守の一番上の階で勝家と共に自決の道を選んだお市の方の心やいかに。ただ、遺された三姉妹がそれぞれに生きた人生の中で歴史を作ったことも事実です。

天正11年(1583)4月24日、戦国一の美貌と言われたお市の高は、燃えさかる炎の中で37歳の生涯を終えました。その辞世の歌。
 『さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の 夢路を誘う郭公かな』

Vol.1329ローカル線を振り返る(21)運炭鉄道だった唐津線  #趣味鉄・乗り鉄今日のローカル線は佐賀県を走る42.5kmの唐津線。起点の久保田駅は長崎本線で佐賀駅から二つ目の駅ですが、列車は全て佐賀駅に乗り入れています。終点は西唐津駅...
27/08/2026

Vol.1329
ローカル線を振り返る(21)運炭鉄道だった唐津線  #趣味鉄・乗り鉄

今日のローカル線は佐賀県を走る42.5kmの唐津線。起点の久保田駅は長崎本線で佐賀駅から二つ目の駅ですが、列車は全て佐賀駅に乗り入れています。

終点は西唐津駅ですが、手前の山本駅からは筑肥線の列車も乗り入れ、また唐津駅-西唐津に間にはやはり筑肥線の列車が乗り入れます。

こちらは電車ですのでこの短い区間だけ、さらにその先車両基地である唐津車両センターまで直流電化されています。

またかつては沿線にあった炭鉱への貨物線、引き込み線も多くあり、その内山本駅ー岸嶽駅間(岸嶽支線)には旅客列車も走っていました。

開業は明治31年(1898)で、唐津興業鉄道により山本ー妙見(西唐津駅旧駅)ー大島(貨物駅)間に列車が走りました。

少しずつ南へ延伸されて久保田駅に達して全通したのは明治36年(1903)暮れでした。その間唐津鉄道に社名変更、明治35年に九州鉄道に合併しています。

その九州鉄道も明治40年に国有化されて、42年に貨物支線を合わせて唐津線となりました。旅客営業は久保田ー西唐津(旧妙見)間でした。

岸嶽支線の旅客営業は大正2年(1913)からで、一時期蒸気動車(ボイラーで起こした蒸気でエンジンを動かす気動車)も運転されたようです。

戦中戦後は石炭増産積み出しで貨物列車も多く運転されましたが、炭鉱の閉山が始まると支線も昭和53年までに順次廃止されていき、46年には岸嶽支線も廃止。

昭和61年(1986)には貨物列車もなくなりました。唐津ー西唐津間の電化は昭和58年、筑肥線の電車が乗り入れてきました。

現在の唐津線はキハ47形(写真)とキハ125形のワンマン気動車が、単行または最大3~4両の連結で運転されています。

日中は1時間に1本程度ですが、山本ー西唐津間には伊万里発着の筑肥線気動車、唐津ー西唐津には筑前前原方面からの筑肥線電車が乗り入れて賑やかです。

70年代初めまでは石炭車を長く連ねた貨物列車が、9600形SLに牽引されていました。主要駅の線路有効長が長いのは当時の名残です。

Vol.1328「適正」ということへの考察  #人を大切にする経営私論表題に上げた「適正」ということを戦略としてとらえていくと、次のような各要素が戦術として挙げられることになります。 1.適正価格経営 2.適正規模経営 3.適正賃金経営 4...
26/08/2026

Vol.1328
「適正」ということへの考察  #人を大切にする経営私論

表題に上げた「適正」ということを戦略としてとらえていくと、次のような各要素が戦術として挙げられることになります。

 1.適正価格経営
 2.適正規模経営
 3.適正賃金経営
 4.適正生産経営
 5.適正在庫経営
 6.適正コンプライアンス経営

まだまだあるのでしょうが、このくらいでやめておきましょう。

では適正の反対は何でしょうか、不適正でしょうか。これはそれぞれの項目で違っている感じもします。たとえば適正賃金に対応するのは不当賃金。

私は「適正」の反対というより対比語は「適当」ではないかと考えるのです。キチッと考えないで、その場しのぎの思いつき、流されるままのスタイル。

また、適正という言葉の意味が企業の数だけあるように、その対比される適当の数も同じだけ、もしかしたらそれ以上にあるのではないかと。

では適正なるが故の条件とは何でしょうか、それは企業として適正な利益(利潤)を得る、生み出すことでしょうと。

上記に上げた6つの適正戦術のそれぞれを確実に実行することで得られるのが、適正な利益だと考えられますし、その考えは正しいでしょう。

でもそれだけなのか、それが要因なのか結果なのかは「ニワトリと卵」なのですが、五方よし経営でめざすところの、一緒に仕事をする人とお客様が笑顔の経営。

究極に到達したいところはそこにこそあります。そして笑顔のプロセスが実行されているならば、きっと適正な利益も得られるに違いないと言い切ります。

その利益はまた次の笑顔につなげていく、まさに好循環・善循環の経営です。継続してこのサイクルが回せるように日々努めたいものです。

そういうと「それは理想だ、現実は甘くない」と反論される人もいらっしゃいます。もちろんその通りです。現実は厳しいものです。

しかし、だからこそ理想の実現を目指して人それぞれが現実に足を置いて取り組む、そのことが強く求められるところではないでしょうか。

長年に亘りフォローいただきましたこのページは、来たる8/31の投稿を持って閉鎖することにいたします。新しいページの計画もありますが、今度はグループページとして企画の予定です。その際にはまた改めてご案内させていただきます。感謝。
26/08/2026

長年に亘りフォローいただきましたこのページは、来たる8/31の投稿を持って閉鎖することにいたします。新しいページの計画もありますが、今度はグループページとして企画の予定です。その際にはまた改めてご案内させていただきます。感謝。

Vol.1327空海そして弘法伝説は全国に  #歴史に学ぶ脳力開発先週は天台宗の開祖である伝教大師最澄を取り上げましたが、今週は共に遣唐使として大陸に渡って学び帰国した空海を取り上げます。宝亀5(774)年讃岐の生まれ、幼名真魚(まお)、1...
25/08/2026

Vol.1327
空海そして弘法伝説は全国に  #歴史に学ぶ脳力開発

先週は天台宗の開祖である伝教大師最澄を取り上げましたが、今週は共に遣唐使として大陸に渡って学び帰国した空海を取り上げます。

宝亀5(774)年讃岐の生まれ、幼名真魚(まお)、12歳で地元の学校に入りますが成績優秀ということで、平城京の大学寮に15歳で入学しました。

つまり最初は官吏を目指していたということになりますが、幅広く学ぶうちに仏教とくにみっきゅに興味を持ち退学して人里離れた山での修行に入ります。

人を通して遣唐船での留学を認められ、延暦23(804)年に唐に渡ります。その際には嵐で流され海賊の嫌疑を受けますが、流暢な中国語と達筆で事なきを得ます。

そして真言密教の奥義までを学びとり、20年間の留学予定を2年で切り上げて帰国、その教えは瞬く間に平安朝の朝廷に受け入れられて広まります。

10年後修行の場を探す旅に出、ついに高野山にふさわしい場所を感じて、そこに金剛峯寺を建立しました、弘仁7(816)年のことです。

またその7年後には、嵯峨天皇より京都の東寺を託され、名称を教王護国寺と改めて他の宗派にも門戸を開いた、真言密教の修行道場としています。

空海(弘法大師)というと諸国を廻って、ため池や堤を築いたことが語られますが、実際にはその一部が事実としても唐の技術を伝えたことは確かでしょう。

他の人の事績もお大師さんの為したこととして伝わるというところが、空海の偉大なるところと言えます。

そういった弘法伝説は全国に5千以上もあるといわれています。弘法水の伝説だけでも1千数百にのぼるそうでっす。

入定は承和2(835)年3月、享年62歳。入滅の50日後に奥の院に遺体が運ばれますが、現在に至るまでその地で修行(禅定)を続けられていると伝わります。

なお弘法大師号を贈られたのは、延喜21(921)年のことでした。

Vol.1327戦略は全員に徹底して意味がある  #脳力開発自律脳力開発学講座では「戦略と戦術」についても力を入れて話をしますが、今日のコラムではその戦略を組織の中で徹底することに関して。企業理念・経営理念はその会社の戦略ですと前にも書きま...
24/08/2026

Vol.1327
戦略は全員に徹底して意味がある  #脳力開発

自律脳力開発学講座では「戦略と戦術」についても力を入れて話をしますが、今日のコラムではその戦略を組織の中で徹底することに関して。

企業理念・経営理念はその会社の戦略ですと前にも書きました。企業憲法の前文と言っても良く、基本中の基本です。

理念を朝礼の場で唱和されている会社も多く、また会社で手帳を作られているとその表紙裏や最初のページに書かれていることもあります。

毎日唱和する、あるいは日常いつでも目にすることはとってもいいことです。でもそれは何の為なのでしょう、分かった上でやっているでしょうか。

社長が分かっているのは当然のことですが、幹部社員はどうでしょうか。一般の社員はそしてパートやバイトの方々はどうなのでしょう。

ただ漫然と朝礼の場で唱和し、「唱和することになっているから」では答になりません。ただ暗記しているだけではねぇ。

そこ(会社)にいる全員が知っていなければならないから、いつでも目にし声に出すのです。なぜなら行動の規範原理だからです。

その理念を基にして私たちは行動しています、仕事をしていますと胸を張って言えますか。この戦略(目的)を理解し実現を目指していますと。

社長以下全員に共通の言葉としてしみ通っていること、その理念を基準として日々判断し行動していること。何よりそれを自覚し意識していることです。

朝礼で唱和しているのは、目からだけではなく耳からのも自分の意識に浸透させるためです。それができているからこそ、行動として実践できる、体現できるのです。

なず? 戦略に基づかない、戦略に反した行動すなわち戦術を行ってしまったら、組織全体に「危害」をもたらすかもしれない。

戦略そのものを台無しにしてしまうかもしれない。

言い換えれば、全員が理念という同じ判断規準で仕事をしている、そのことが大切なのです。それができていての「自律」です。自主であり主体であるためです。

戦略は力の源泉なり、だからこそ必要なのであり、全員にしみ通っていることなのです。

Vol.1326社長室は要らない  #実学戦略会計自分体験の話を進めていくのが月曜日のテーマですが、かつて社長を務めていた会社はもちろん今でも地域のトップとして健在です。私が親会社から赴任してきた当時は強力なライバル会社(問屋)もまだまだ元...
23/08/2026

Vol.1326
社長室は要らない  #実学戦略会計

自分体験の話を進めていくのが月曜日のテーマですが、かつて社長を務めていた会社はもちろん今でも地域のトップとして健在です。

私が親会社から赴任してきた当時は強力なライバル会社(問屋)もまだまだ元気で、県内シェアで言えば5本の指に辛うじて入るか入らないかでした。

取扱商品全般の売上としてはそうでしたが、当社が特化している部門だけで言えばトップを伺える位置付けではありました。

そこをさらに重点的に伸ばしていくことに力を注ぎましたので、「再建」をほぼ完了した頃にはその分野ではトップの位置に座ることができました。

その間一貫して心して実行してきたのが『社長室に籠もらない』ことでした。最初の内は親会社の社長が社長兼務で私は現地経営者の専務。

社長室のデスクに「籠城」する必要もありませんから、他の社員と同じフロアに自分の机も置きました。いわゆる「議長席」ではなく営業社員と同じシマの一画。オフィス全体を眺められますし、みんなの動きも手に取るように見られます。

玄関を入ってこられるお客様や仕入先など来客も目に入ります。必要ならすぐに立って近づくことも容易です。

重要な書類は「社長室」の看板が掛かっている部屋の中にある、鍵のかかるキャビネットには入れていましたが、大半のモノは直ぐに手の届く範囲でした。

普段はたまに利用する応接室というイメージでした。来客とも極力玄関横の展示ルームで応対し、社員との打合せも食堂を兼ねた会議室で行いました。

要するに社長室は「要らない」ってことです。繁忙期などは作業ルームになっていることも多かったと思います。

一応神棚は作ってあり、お水などは毎日取り替えていましたし、朝一番には手を合わせに入りましたが、それ以上でも以下でもありませんでした。

立派な社長室を作るなとは言いませんが、少なくともそこには籠もるなと言いたいですね。中にはゴルフバッグを置いたりしている社長もいますがどうなのかねぇ。

社是社訓などは社長室ではなく、みんなが見えるオフィスフロアの正面に掲げるべきです。社長室は利益を生まない、それが私の理念でした。

広すぎる社長室など無駄、中には社屋の一等地に大きなスペースを取られているのを見かけますが、首を傾げたくなります。みなさんのところは?

Vol.1325縄文についてふと思う  #朝の散文上記の公式アカウント『やんまチャンネル』とオープンチャット『和らぎやんまスクエア』とは、セットの利用を(勝手に)推奨しています。公式LINEは基本「1対多」のコミュニケーションです。発信者で...
22/08/2026

Vol.1325
縄文についてふと思う  #朝の散文

上記の公式アカウント『やんまチャンネル』とオープンチャット『和らぎやんまスクエア』とは、セットの利用を(勝手に)推奨しています。

公式LINEは基本「1対多」のコミュニケーションです。発信者である私からの一方的な言葉やイメージをお届けしているコンテンツ。

返信に対しては1対1でやりとりできますが、それは他の人には伝わりません。だから店舗や会社での利用が主だと言われるわけですね。

それならそれで、私は会社『ヴァンガード経営研究所』からの情報発信に特化していきましょう、という感じで続けています。

でもせっかくですから公式LINEの皆さんともということで、オープンチャットも開いたわけです。

ところで私はフォロー数などにあんまり興味がありません。見ていただいている数は気に懸かりますが、見られる方の「勝手」ですからね。

さて全く話は変わりますが、最近私の周りの方が『縄文』をさかんに話題にされています。歴史好きの私も縄文時代、縄文人には興味がありますので話に参加します。

縄文時代は近年の研究で1万5、6千年くらいつづいたといわれていますが、その間ずっと戦いのない平和な時代だった(から素晴らしい)と言われています。

その意味で縄文人を礼賛し、その時代の生き方に学ぼうというのでしょうか。

でも良く考えてみてください、日本列島全体の縄文時代人の数は最盛期でも40万人と推定されます。1億2千万人の現代との単純比較は無意味です。

また当時も1秒は1秒ですが、「時代が流れる速さ」は大きく違います。感覚的に言えば江戸時代の流れは縄文の100倍、現代は200倍くらいかなと。

そうすると江戸時代260年の平和は縄文換算では2万6千年、現代(戦後80年)換算では1万6千年、平和がつづいていることになります。

こういう考え方が正しいなどとは申しませんが、正直言って余りよく分かっていない縄文を、無闇に礼賛するのはどうなの?

こんなことを言ったらそういう方々にバッシングされそうですね。平和だったのはなぜか、その検証をキチッとやった上で「素晴らしいね」と言ってほしいのです。

余計なことを書いちゃいましたね、後々まで残りますよね。

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西区小針藤山
Niigata-shi, Niigata
950-2021

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